どんな場面で使うのか
スピーカーやヘッドフォンを試聴するとき、僕はいつも決まった音源を持っていく。成田にあるサウンドハウスのショールームへ行くときや、秋葉原のビックカメラで製品を聴き比べるとき。新しい再生装置を導入したときはもちろん、スタジオのルームアコースティックを確認するときにも使っている。
サウンドチェック用音源の条件
サウンドチェック用の音源に必要なのは、録音が新しいことでも、一般に「高音質盤」と呼ばれていることでもない。その曲の中に何が入っているのかを、自分が把握していることだ。アルバム全曲である必要はない。一曲だけでもいい。
楽器編成だけでなく、それぞれの演奏内容、音色、フレーズの細かなニュアンス、リズムパターンのグルーヴ、ボーカルとの距離、楽器の定位や分離。それらが自分の耳の中に基準として残っていれば、再生装置や部屋が変わったとき、何が違って聞こえるのかが分かる。
Donald Fagen『The Nightfly』
まずは定番の『The Nightfly』。自分の世代のど真ん中にある作品で、収録されている音のほとんどを把握している。
どの楽器がどこにいて、どんな音色で、どんなニュアンスの演奏をしているのか。ボーカルがどの程度前に出ていて、各楽器がどれくらい分離しているのか。普段と違う再生環境で鳴らせば、その違いをすぐに見つけることができる。
ただし、現在のミックスを評価するための万能な基準ではない。最近のデジタル音源に見られる信号の立ち上がりの速さや、現代的な低域の量感とバランスを確認するには、さすがに古い。録音された時代の音である以上、そこは割り切っている。それでも使い続けるのは、僕の中に「本来こう聞こえる」という答えがあるからだ。
Kevyn Lettau『Another Season』
もう一枚が、Kevyn Lettauの『Another Season』。一曲目のイントロに入っているシンセやベル系の音では、倍音の出方を確認できる。
曲が始まってからは、キックとベース、ボーカルのバランス。サウンド全体の左右方向の広がりと奥行き。音の透明感や、リバーブ成分の細かな質感などを聴いている。
高域がきれいに伸びているだけでは駄目で、倍音がうるさくならずに聞こえるか。低域が出ているだけではなく、キックとベースがきちんと別々のものとして感じられるか。広がっているだけではなく、奥行きを伴った空間として聞こえるか。この作品を鳴らすと、再生装置や部屋の性格が比較的分かりやすく現れる。
面白い音楽と、心酔できる音楽
こうした新しくない音源を使う理由は、たったひとつ。何度も聴き込み、音楽の中身を把握しているからだ。
もちろん、最近の音楽を否定しているわけではない。昨今の曲にも「面白い」と感じるものはいくらでもある。僕自身、できるだけオープンマインドで音楽に接しているつもりだ。ただ、「面白い」と思うことと、その作品に心酔することは違う。
もう新しいリファレンスは増やせない
これから先、30回、50回と繰り返し聴きたくなる新しいアルバムに出会えるかというと、たぶん難しいと思っている。新しいリファレンス音源を増やさないのではない。もう増やせないのだと思う。
新しい一枚をリファレンスにするには、繰り返し聴いて、音の隅々まで身体に入れなければならない。そのために必要な時間を考えると、残りの人生の貴重な時間を使ってまで聴き込みたいと思える作品には、もう出会えないような気がする。
リファレンス音源は、スペックや評判によって選ばれるものではない。長い時間をかけて聴き続けた結果、自分の中に基準として出来上がっていくものだからだ。
実際にAIに聞いてみた!
それでも一応、最近のミックスを確認するのに適したアルバムをChatGPTに聞いてみた。すると、用途の異なる作品として次の3枚を挙げてきた。
ダフト・パンク『Random Access Memories』
選出には賛成です。ただ、「アナログ楽器を生の一発録りで積み上げた」では不正確です。生演奏を重視し、腕利きのミュージシャンを複数のスタジオで録音し、アナログテープも使用していますが、アルバム全体を一発録りした作品ではありません。デモや打ち込みを出発点に、長期間にわたる多数のセッションで構築されています。
「一発録り」を外して、次のようにするのがよいでしょう。
生演奏を重視し、腕利きのミュージシャンによる演奏を贅沢に積み上げた作品。ドラムやベースの輪郭、ボーカルとコーラスの重なり、音像の立体感を確認するのに向いている。
ビリー・アイリッシュ『When We All Fall Asleep, Where Do We Go?』
これは非常に妥当です。アルバムの大部分はFINNEASの自宅のベッドルームで録音され、一般的なポップスより高域成分やリバーブを抑えた独特の設計になっています。低域だけでなく、囁くようなボーカルの輪郭や、音数の少ない部分での静けさを見る音源として使えます。
ただし、「可聴域ぎりぎりのサブベース」は具体的な周波数の裏付けがないので、ブログでは「非常に深いサブベース」程度が安全です。
スナーキー・パピー『We Like It Here』
これも良い選択です。オランダで観客を入れ、4夜にわたってライブ録音され、公式ライナーノーツにはオーバーダビングなしと明記されています。定位や分離だけでなく、同時演奏のまとまり、演奏のダイナミクス、空間の密度を見るのに適しています。
一方で、これは現代的なポップミックスの低域バランスを測るというより、生演奏と部屋の空気をどこまで自然に再現できるかを見る音源です。そこを明確にすると、他の2枚との役割分担もきれいになります。
なるほど、どれも技術的な確認材料としては理にかなっている。時間の有る時に「リファレンスとしてどうか」という耳で実際に聴いてみようと思う(僕の趣味を鑑みてくれているようだし)。しかし、これらが僕のリファレンスになるかというと、それはまた別の話。リファレンスに適していることと、僕が心酔して30回、50回と聴きたくなるかは別だから。
若い人たちへ
若い人たちには、何度でも聴きたくなる作品と出会ってほしい。その一枚を心から好きになり、演奏も音色も空間も、いつの間にか全部覚えてしまうほど聴き込んでほしい。それはいつか、スピーカーやヘッドフォンを選ぶとき、カタログの数字よりもはるかに多くのことを教えてくれるはずだ。
サウンドチェックに最も適しているのは、最も新しい音源ではない。自分の中に、すでに答えが入っている音源なのだ。

