DTMで作曲を始めると、コード進行って意外と早く形になるんですよね。好きな曲を分析したり、定番の進行を覚えたりしているうちに、8小節16小節くらいはとりあえず並べられるようになる。
ところが、その上にメロディを乗せようとした途端、急につまずく。「コードには合ってるはずなのに、なんか曲になってないなぁ」とか、「あれこれ音を変えてるうちに、何が正解かわからなくなってきた」とか。生徒の曲を添削していても、このパターンにはしょっちゅう出会います。
音程が外れてるわけじゃない。コードから大きく外れてるわけでもない。それでも、聴いてる側からするとどうも掴みづらい。原因のひとつは、メロディに「一貫性」がないことなんです。
メロディは自由。でも、無秩序とは違う
メロディって、基本的には自由に作っていいものです。上がってもいいし、下がってもいい。同じ音が続いてもいいし、大きく跳んでもいい。
ただ、「自由」と「無秩序」はぜんぜん別の話で。あてもなくフラフラ動いてるだけのメロディって、「この曲はこういうメロディだ」っていう手掛かりが無いんですよね。リズムも毎回バラバラ、動き方もバラバラ、フレーズの長さもバラバラだと、聴いてる人は何を頼りに聴けばいいのかわからなくなる。
そこで効いてくるのが「モチーフ」です。
モチーフっていうと難しい専門用語に聞こえるけど、要は「その曲の中で何回か顔を出す、特徴のある短い音のかたまり」くらいの意味です。音の動きでもいいし、リズムだけでもいい。毎回きっちり同じ形で出す必要もありません。一回出てきた特徴が、ちょっと形を変えてまた現れると、聴いてる人は無意識に「あ、さっきのが来た」って感じる。それがまとまりになります。
目的のある散歩と、ただ歩き回るのの違い
僕はレッスンでよく、散歩にたとえます。
散歩って行動そのものは自由ですよね。でも実際に出かけるときは、
- 今日は暑いから日傘を持っていく
- まず自販機で飲み物を買う
- 公園でカモや魚をながめる
- 木陰でひと休み
- スタバでアイスティー
- 帰りにスーパーで軽く買い物して帰宅
みたいに、ひとつひとつの行動にちゃんと意味がある。ガチガチの予定じゃなくても、なんとなくの流れがある。だから「散歩」というひとまとまりの体験になるわけです。
行き先も決めずにただウロウロ歩き回ってるだけだと、そうはならない。メロディも一緒なんですよね。
モチーフを何回か繰り返してみる。だんだん音を下げていって、ここぞってところで一気に上に跳ね上げる。同じ音のままリズムだけ反復する。前半はわざと低めに抑えておいて、クライマックスで初めて最高音を出す。こういうのは単なるテクニックというより、「ここは抑えとこう」「この形を刷り込もう」「ここで開放しよう」っていう、作り手の意図なんですよね。その意図があるから、メロディに“行き先”が生まれる。
「コードに合う音」を探しすぎると、かえって迷子になる
理論を勉強し始めた人ほど、ここは要注意で。
Cならこの音が使える、Amならこの音、っていう考え方そのものは間違ってません。コードとメロディの関係を知っておくのは大事です。でも、「今鳴ってるコードに合う音はどれか」ばっかり気にしていると、一音一音を単独で選ぶ作業になっちゃう。
Cの上ではこの音、次のAmではこの音、Fになったから今度はこの音……。どの瞬間を切り取っても理屈は合ってる。なのに、通して聴くと何が言いたいメロディなのかわからない。これ、一歩ごとに「次は右足どこ置こう、左足どこ置こう」って考えながら歩いてるようなもので、それじゃ散歩全体の行き先は見えないんですよね。
コードとの関係はもちろん見ます。でも、それより一段上から「このフレーズをどう聴かせたいか」「この先どこへ向かいたいか」を考えないと、メロディはまとまってこない。
最初のフレーズを“どう育てるか”が仕事
「自分の中からふっと出てきたフレーズで、自由に音をつないでいく」。これは作曲の核心だと僕は思ってます。だから何でもかんでも理屈で決めればいい、とも思わない。最初に浮かんだひと節が、そのまま曲の核になることもよくあります。
ただ、そのフレーズをどう育てるかは、完全に作り手の仕事です。繰り返すのか、ちょっと変えるのか、抑えるのか、盛り上げるのか。どこで期待させて、どこで裏切るのか。どこを一番印象に残したいのか。そこに「計画」とか「意図」とか「こうしたら魅力的に感じてもらえるかな」っていうイマジネーションが乗っかってくる。
コード進行が完成してるからって、空いてるとこに使える音を順番に置いていけばメロディが出来上がる、なんてことはないんですよね。理論は音楽を作るための助けにはなるけど、理論そのものは音楽じゃない。
作曲は、コードに音をハメるゲームじゃない。音楽的な表現をするための手段だ。

