教える身でこんなことを言ってしまうのもナンですが。
習えば上達するわけではない
安易に考えて教室の門を叩く生徒が時折います。勢いで他の学校の門とかも叩いて叩いて、いっぱい叩いて同時に3つも4つも習って、その結果、一向に上達していかない生徒が、・・・これまで何人かいました(今もいるんですけどね。。)
これは、目の前にあることにしっかり取り組まずに(本人はしっかりやってるつもり)、「進んでいかないのは”習う量”が足りないからかな!?”習う事がら”が足りないかな!?」と考えるからです。そして色々と習い始め、自分自身の復習・実習の時間がどんどん無くなる。つまり時間があっても大してできなかった人が、習い事を増やして自分の時間が無くなり、もっとできなくなる、というパターンです。
大抵こういうタイプの生徒は基本的に、世の中とか、音楽とか、いろいろと甘く見ていることが原因になってます。”習えば上達する”と思っている。半ば自動的に。そんなことないのは、今この教室にいる生徒はみんな知ってるよね!
やった分だけしか成長しない
自分でやった分だけしか進まない。いくら継続的にレッスンを受けていたって、自分で大してやらなければ、大して進まない。逆に、たくさんやればたくさん進む。人が聞いたらビックリするくらいやれば、ビックリするくらい進む。ま、そういう人はプロになったりする。やった分だけ、ですよね。やった分だけ。”習った分”じゃないということです。
「じゃあ習う意味なんてないじゃん!」と誰かが言うかも知れませんが、それもまた音楽を甘く見ています。音楽は、”やっていればそのうちどうにかなる”というほど容易ではないのです。
音楽の道は甘くない
例えば、ヨーロッパの歴史ある音楽大学に学び、輝かしい作品を残した数多くの偉大なる作曲家の墓前に立ち「音楽を習うなんて愚行に走ったアホが!」と言える人はいませんし、アメリカのジャズの名門大学に学び、これまた人類の遺産とも呼ぶべき名曲の数々を作ってきた大先輩方に対して、「習ってるヒマがあったら勝手にジャカジャカやっていればもっとよかったのに~」とは誰も言えません(ジャズがこんなに高度で複雑になる前の時代には、好き勝手にジャカジャカやって名プレイヤーになった黒人も多数いますけどね)。
アメリカのゴスペル/Hip-Hopのスター、カーク・フランクリンも、叔母が空き缶拾いでお金を工面して幼いカークをピアノのレッスンに通わせたという話は有名。
”1993年にデビュー・アルバム『カーク・フランクリン&ザ・ファミリー』でゴスペル界初のプラチナ・ディスクを獲得し、グラミー賞を受賞。”(wikiより)
真剣に取り組むことの重要性
教育を受ける、教わるということは、とても尊いことです。しかしながら、教わっていれば上達していくというものではない。どれくらい伸びるかは、やった分だけ。「伸びないなぁー自分。。」と思っている人は、今一度、どれくらいやっているかを真摯に振り返ってみましょう。もし「結構やっているハズなのに。。」と思えたら、それは世の中をナメている証拠です。
あなたには「誰かが何かを簡単そうにやっている」ように見えても、その人はあなたが想像している何倍~何十倍もの努力を長年積み重ねてそれをやっています。あなたの「やっている」は、もしかしたら「努力しているうちに入らない程度」の努力なのカモ!? 知れませんよ。(ま、チンタラやっていくならやっていくで、その工程を楽しみながらやっていったら良いとは思いますけどね。安易に結果を求めずにね。)
あなたもこの教室で習ってみたいなら…